< 守りたい > 「御大将!」 男は叫び、今まさに彼の主君に斬りかかった兵士を、その斧でなぎ倒した。 どさりと男が倒れ、君主の姿が目の前に飛びこんでくる。 大きな怪我はないようで、彼はほっと息をついた。 主君のほうも、男の姿を見て表情を明るくし、叫んだ。 「おお、悪来!」 かつての王朝でその名を轟かせた悪来。 男の強さと忠誠心から、君主――曹操は彼を悪来と呼んでいた。 ここは、宛城。 今、彼らは絶体絶命の危機に瀕していた。 降伏し城を開け渡され、悠々と入場した。 あまりにもあっさりとした降伏だったため、主たる兵力はすべて前線へ送ってしまった。 しかしその降伏は謀りで、ごくわずかな兵士以外はすべて敵、それが今の状況だ。 明らかな己のミスに、曹操は忌々しげに眉を寄せた。 「御大将、逃げてくだせえ、活路は俺が開きます!」 「うむ……すまんが頼むぞ、悪来!」 曹操の言葉に、悪来――典韋は力強くうなずいた。 そして、傍らに控えていた彼女に声をかける。 「行くぞ、羽李!」 「はい、典韋さま」 答えるのは羽扇を構えた女性――典韋の護衛武将、羽李。 重い斧をふりまわす彼の邪魔になることなく、ひらりひらりと身軽に立ちまわる。 おろしたままの長い髪の毛と相まって、歌舞でも見ているようだった。 羽李の扇で兵士たちはよろめき、そこに典韋の一撃がふりおろされる。 なんの合図もなさなくても、流れるようなその動きに無駄もズレもない。 そうして敵兵を斬り倒し、ようやく外につながる城門にたどりついた。 しかし敵もやすやすと逃す気はないらしく、間断なく兵士が突撃をしかけてくる。 これだけの兵を隠していたことに、曹操はまたも歯噛みした。 この状態では城門を抜けても、逃げることは難しい。 味方の軍勢は遠く離れた場所にいるし、こちらには馬もいない。 敵兵を倒したくとも、人数が少なすぎる。 わずかな護衛は傷つき、戦闘できる状態ではないのだ。 険しい表情の曹操に、典韋が口を開いた。 「御大将は先に逃げてくだせえ、あっしがここで敵兵を食い止めます!」 その巨漢に似合う大斧をかざし、言い放つ。 たしかにそれが最善策であろうが、典韋の命の保証はない。 しかし、君主である曹操が討たれてしまっては、なんの意味もない。 典韋にとって彼は命を賭しても守るべき主、現状を考えれば、命の危険があろうとなかろうと、己がここに残るのが最善だ。 「うむ……頼んだぞ、悪来」 それを理解している曹操は、無駄なことは言わずにただ、うなずいた。 続いて典韋は、傍らに控えている羽李にむかう。 「羽李、お前は御大将を護衛しろ」 「……!」 彼の言葉に、彼女が身体を硬くする。 「お前は俺の護衛だが、俺は御大将の将だ。 御大将なくして俺は無い」 淡々と言う彼は、決して彼女から目を離さない。 遠くには迫っている敵、そして彼の命令とあれば―― 「――わかりました。この羽李、脱出まで曹操様の護衛となります」 こくりと頷き、はっきりとした声で宣言する。 それを聞き、典韋は笑顔を浮かべてみせた。 「御大将、羽李の実力は保証します。 こいつがいれば伏兵がいても大丈夫でしょう」 「うむ……」 しかし曹操はその言葉に、明らかに逡巡する様子を見せた。 そんな彼を押し切ったのは、他ならぬ羽李だった。 「殿、お早く。敵がきております」 典韋の豪腕におそれをなしているようで、まだ遠くから様子を見ているが、そう時間は稼げない。 羽李は城門を開ける手はずを整え、曹操の動きを待っている。 「……よし、行くぞ、羽李」 「はい」 門に曹操が立ち、羽李が開門させると、行かせるものかと敵兵が押しよせてきた。 しかしそれらは斧のひと凪ぎで止められてしまう。 「この悪来典韋の目の黒いうちは、一人として通さねぇ!」 吠えるような声をあげ、敵兵を豪腕でねじ伏せていく。 あまりの力に、兵士の何人かはすくみ、逃げようとする者まであらわれた。 それを見逃さず襲いかかる典韋に、羽李は叫んだ。 「御武運を……!」 喧噪の中の声はあまりに細く、聞こえただろうかと不安に思ったが、ふりむいた彼と目線が合った。 そして彼は、微かに笑ってみせた。 あとはもう見ていることはできず、彼女は曹操と共に魏軍と合流すべく、疾走した。 そして曹操は無事魏軍と落ちあい、急ぎ兵を連れて宛城にもどった。 しかし時はすでに遅く―― 城の外に背をむけて立つ、頑健な男の姿。 見開いた目は鋭く城の中を見つめている。 その手ににぎられているのは、かわいた血のこびりついた大斧。 今にも動きだしそうな姿だが、しかし、その身体はとうに活動を停止していた。 変わりはてた姿を見た曹操は、家臣が止めるのも聞かず、その身体を抱き涙した。 「このような忠臣を、儂の愚直が殺めたのだ……」 自らを責める彼のもとに、羽李が静かに歩み寄った。 顔色は悄然としていたが、それでも彼女はしっかりした足どりで典韋を見上げる。 「羽李、すまぬ……」 許しも得ずに近づいた彼女を咎めるでなく、逆に彼はそう謝罪した。 彼は、典韋から聞いていたのだ。 羽李とは上司と部下を超えた関係であること、今度城下にもどったら、華燭の典をあげること…… 「国の主が一護衛兵に謝るなど、あってはならないことです」 きっぱりと彼女は言い、目を開けたままの典韋の顔にふれ、そっとその目を閉ざしてやった。 それから、うっすらと笑みを浮かべる。 「戦に出ている身です、こうなる可能性は覚悟の上でした。 典韋さまは殿を守れて、満足していたと思います」 「しかし……お主は、典韋の側にいたかったのではないか?」 護衛は必要だった、だからあの時点での選択は間違っていない。 実際羽李は抜群の力を発揮し、曹操を無事に陣営に送りとどけた。 だが、敵陣のただ中に、上司であり愛する者を置いていくなど、命令であっても受けづらい。 生還できる可能性が低ければ、特にだ。 しかし曹操の言葉に、彼女ははっきりと首をふった。 そこには君主だからという遠慮は見受けられない。 「もちろん、そうできればとも思いました。 ですが、典韋さまがわたしに生きろと願ったのならば、それを無下にはできません」 長く護衛として共に戦場を走り、そして契りを結んだ間柄なのだ。 深い関係になってからは、彼は自分が戦場に出ることに難色を示した。 結婚したら護衛を辞めることも検討していたくらいなのだ。 だから曹操を守ってほしいというのも、彼のまぎれもない本心だろうが、同じくらい、彼女を逃がしたかったのだろう。 「……わたしは生きて、あのかたのことを伝えていきたいと思います」 誰にも知られずはかなくなる命は、この戦乱の世に数え切れないほどもある。 けれど自分は生きている。だから彼のことを伝えていける。 「だから……わたしは大丈夫です」 倒れもせずに立ち続けている亡骸を見て、微笑んだ。 たとえ死しても、君主を守ろうとする、そんな男だから心奪われたのだ。 失った悲しみは深いけれど、彼がかれらしくあれたことは、喜ばしいことでもある。 平和な世界だったなら、きっと出会えもしなかった。 だから今の世に不平も言えないし、言う気もない。 「殿にはどうか、天下を」 それがなによりの供養です、と、告げる。 曹操は深くうなずくと、この先の羽李の便宜を最大限とりはかる、と宣言した。 羽李は深く頭を垂れ、主君の処置に感謝した。 兵士たちの手で彼の亡骸は運ばれていく。 身を清め、矢を抜き、丁寧に葬ってくれるのだろう。 暗い一室に安置されるところまで見守ってから、あてがわれた部屋に行った。 人目がなくなり、涙があふれてきたが、その表情は穏やかなものだった。 「……大丈夫」 そっと手を動かして、呟く。 それはたしかな声だった。 > 書いておいてなんですが、典韋が別人かも…… > もう少し書こうかと思いつつやめておきました。 > 生きていてほしい、共に最期までいたい、両方はかなわないなら、どちらを選ぶのか。 > 日本で言うところの弁慶……日本のほうがあとですが。 |