< 鬼の来訪 >


 窓から外の景色を見て、彼女は思わず息をついた。
 天守の下にあたるこの階は、自分を含め幾人かの武将が寝泊まりしている。
 周囲はすべて同じ勢力に制圧され、残すところはこの地のみ。
 服従をよしとしない当主は降伏勧告を拒否した。
 しかしその圧倒的な武力に怯え、天守にこもりきりになってしまった。

 少しでも最後の時を遅らせたいと、城壁を固め堀をつくり、防御だけはすさまじい状態になった。
 城内には己の部下を配置し、兵士に門扉を守らせている。
 一見すれば難攻不落だが、保身しか考えぬ領主についていく者などいるわけもない。

 無茶な工事とその費用の捻出により、民の心はすっかり離れている。
 攻められれば、かれらは喜んで門扉を開けるだろう。
 諫言をしても聞きいれぬ主に失望し出奔した者もいるから、
 城内の地図も出回っていることは想像に難くない。
 そんな有様で戦線を維持できるはずもなく、戦う気力を失った兵士や武将は、簡単に虜囚となるだろう。
 己とて、こんな狭い城内での戦いは得意ではないし、その気ももう、あまりない。
 潔くない君主に失望しているが、そんな主を選んだのは自分であり、裏切りは彼女の最も嫌う行為。
 これも不徳の致すところと考えて日々をどうにかやり過ごすしかない。

 暗い外はしんと静まり、一番の城下とはとても思えなかった。
 煌々と炊かれた灯りが逆にむなしく感じられる。
 気温のせいではない寒さに、少し酒でもあおるかと踵を返しかけた、その時。

 かたん、と。

 不意に響いた低い音と気配に、彼女はばっとふりむく。
 自分の側から数えて三つ隣の窓に手がかけられていた。

 刀を手にそちらにむかうが、敵意のなさに訝しむ。
 忍であればこんなふうに出てこない。
 刺客であっても勿論のこと。
 しかしなににしろ、自分の責務はここを守ること。
 意識を切りかえてそちらにむかった彼女だったが。

「久しいな、お嬢」

 朗らかな笑みと楽しそうな再会を喜ぶ声。
 毒気を抜かれて、刀を手にした力が抜けるほど。
 窓枠から身を乗りだしこちらを見ているのは、かつての仇敵だった。

「島津……!?」

 わけがわからず呆然と名を口走る。
 そういえば敵方の陣営に加わっていた気がするが、
 だからといって今ここにいる意味がわからない。
 それでもなんとか切っ先をむけると、義弘はつまらなそうに鈍い色を眺めた。

「全く、夜這いに刀を向ける奴があるか」
「夜這っ……!?」

 耳慣れない単語に甲高い声を上げて、首筋まで赤く染める。
 覚えず着衣の襟に手を当てたが、夜通しの番をしているのだから夜着のわけもなく、
 直す必要のないほど襟はぴったりと閉じられていた。
 狼狽したァ千代だったが、よくよく男の姿を見ているうちに冷静さをとりもどしていく。
 姿は平服ではなく、さりとて戦仕立てでもない。
 闇にまぎれやすい黒い装束と、この男にしては珍しい小さな刀。

「……なんの用だ?」
「だから夜這いと言うておろうに」

 くつくつ笑う義弘だが、その目には些かの艶も雰囲気もない。
 落ちついてきた彼女は「は」とあざ笑う声を上げて睨みつけた。
 おお恐、と笑いながらひるんでみせても、険を含んだ表情は微動だにしない。

「全く、少しくらい冗談に乗ってくれてもよかろう」

 ぼやいたのも一瞬、すっと表情を改め、手招いた。
 相手が抜刀していないので、ァ千代も刀をおさめて窓辺に寄った。
 男は窓枠に腰かけ、ァ千代をじっと見つめる。
 ぱちん、と灯りのはぜる男を合図にしたかのように、口を開いた。

「早晩、この国は落ちる」

 それは、彼女にも予測できていること。
 だから表情は変わらないままでいられた。
 わかりきったことを告げるためにきたわけではなかろうと、黙って次を待つ。

「……だからお嬢、儂と来ぬか?」

 すいと差しだされた手は大きく、頑健を形にしたかのよう。
 その申し出に、彼女は本気で呆れた顔をした。
 かつては一国の領主だった男が、なにをしているのかと真剣に考えてしまう。

「そんなことを言うために、わざわざこんな危険を冒したのか」
「造作無かったぞ?」

 けろりとした様子は偽りには見えなかった。
 見回りにもやる気がないのだろう。
 こんな大男の進入を許すとは情けないと思ったが、
 肩をすくめるだけで返答に代えた。
 それからじっと義弘を見つめる。

 彼が仕える当主の判断のわけはない。
 それなら密書などの形をとるはずだ。
 だからおそらく―――いや間違いなく、これは彼の独断。

「お主と刃を交える理由は、最早無い」

 お互いの国は滅び、二人とも一介の武将として、天下人を狙う君主に仕える身。
 かつての仇敵ではあるが、そんな関係など探せばいくらでもいる。

「それならば、儂はお主と共に戦いたい」

 戦場で相見えたのはほんの数回だ。
 だからァ千代には、この男の己への執心に首をかしげるしかない。
 無意識に表情に出したのだろう、義弘は苦笑いをしてみせた。
 ぎし、と窓枠が音を立てる。
 彼は心持ち身体を寄せ、囁くように告げた。

「道雪殿は、儂にとっても憧れの武人。
 その娘御が、こんな腑抜けた主の元にいることが、儂には納得いかん」

 突然出た父の名に驚くが、年齢からして不思議ではないと思い至る。
 男の言葉に二心はない気がした。
 なにより父の名を出しておいて騙れば、雷が落ちるに違いない。
 世迷い言をと一蹴されそうなので口には出したことがないが、そう彼女は信じている。
 義弘の誘いはとても魅力的に感じられた。
 この男が従う主君であれば、己の力も存分に発揮できる予感がした。
 ……最も、今の暗君に比べればどんな相手もましになるだろうが。

 だが、自分で理解している己の性格は。

「……離反することは、できない」

 たとえどんなことがあろうと、君主に絶望していても。
 どうしてもそれだけはできない。
 一度それを行えば、二度と武士として戦えない。
 奇妙なまでの確信だったが、声は反して弱く微かだった。

 視線を外していたため、義弘が年長者の慈愛を持ってみずからを見たことには気づかない。
 幼子にやるように手を伸ばしかけてやめたことも、勿論知らない。

「ならば、待つだけのこと」

 こともなげに言われ、顔を上げる。

「この国が落ちたら、仕官に来るといい」

 その時を思い描いているのか、楽しそうな口ぶりで。
 ここまでわざわざやってきたのに、手ぶらで帰る気らしい。
 惜しむ調子もないので、もとよりすなおについてくるとは思っていなかったのかもしれない。
 噂では博打が好きらしいから、べつに空ぶりでもいいのだろう、と無理矢理納得することにした。

「行くと思うのか?」

 なんの約束があるわけではない。
 満足そうな義弘の顔が癪にさわって、わざと尖った声を出した。

「それも含めて楽しみにしておるよ」

 いかにも賭け事好きらしい言葉が返ってくる。
 老齢にさしかかった者らしい、物慣れた態度に比べると、
 こちらはいかにも子供のようで、拗ねているのも腹立たしい。
 だから気持ちを切りかえて、挑戦的に笑ってみせた。

「考えておこう」

 不遜に、大胆に。
 負ける側らしくない態度だったが、彼は面白そうに頬を緩めた。

「では、な、お嬢」

 軽く挨拶をして、返答も待たずに窓枠から姿を消す。
 身を乗りだせば闇夜の中に、微かに輪郭が追えたがすぐわからなくなった。

 それからしばらくの間、なにもない漆黒の中を、彼女は漫然と眺めていた。





> 全然目論見と違うものができあがりました。
> 鬼→羅生門→階段がなくても鬼は平気
> →城(高いところ)にいるぎんちゃん→島津がお持ち帰り
> という予定が素晴らしく狂いました。
> まあ、ぎんちゃんの性格だとおとなしく持ち帰れないですね。
> 平安時代の羅生門には二階がありました。
> けれど階段はなかったそうです。
> なぜなら物の怪用なので、人間のような階段は必要ない、と。
> 我ながら連想の飛びっぷりが凄いですけど……(09.10.07)