< 狡猾 >


 それなりに長くを生きていれば、わかることも増えてくる。
 経験に基づいて、ある一定の予測を立てることもできるし、それは大体当たっている。
 慣れるということがいいか悪いかはさて置くとして、
「それ」は確信に近いほど、男にとってはわかりやすい事実だった。

 しかしわかったからと言って、己が行動するかどうかは別問題。
 彼の選択は、基本的には現状維持だった。

 ……あくまで、基本的には。

 今までどおりにからかい、共闘し、些細な口喧嘩の相手をして。
 ただその時に、少しだけ笑みを多く見せたりする。
 相手が勘づかない程度に、ほんのわずかな変化。
 それも数を重ねれば、違和感は消えて慣れてしまう。
 気の強い猫も根気よく構えば、いずれ頭をなでられても平然とするように。

 そのころを見計らってまた少し態度を変える。
 大多数からは、年長者である男が態度を軟化させた程度にしかとられていない。
 そう判じられるように仕組んでいるのだから当然なのだが、
 上々の首尾に傾ける酒の味が旨く思えて。

 そんなある日のこと。

「随分惨いことをする」

 日の光がさす中では場違いなほど低い声で、彼は男に呟いた。
 鍛錬の手を止めれば、暗い海を思わせる、深い色の瞳がこちらを凝視している。
 周囲にはちょうど誰もいない。むしろその時を狙ったのだろう。
 意図的に二人きりになろうとすれば人目につくが、
 こういう隙間は案外存在するものだ。

「……さて、なんのことやら」

 得物をとんと地面に置いて、肩を軽くまわす。
 年寄りに問答は難しいとでも言わんばかりに、薄い笑みを浮かべて。
 だが、相手はそんな演技に騙されるほど素人ではなかった。
 いっそうひやりとした目使いは、並の相手なら萎縮するだろうが、男は表情を変えないまま。

「どうするつもりだ?
 このままでは、あの娘は早晩惑うことになる」

 自分の気持ちを知らず、けれど無意識に表す彼女。
 己の気持ちを知り、だが意識的に隠す男。
 交わることはできず、しかし手を伸ばせば触れる距離。

 巧みに奥へ潜められたものが悟れるほど、彼女は機知に富んでいない。
 しかし男によって生み出された歪みは、徐々に彼女を捕らえていく。
 純朴な彼女がそれに気づくのは、おそらく絡まり逃げられなくなった時。

「ならばお主が動けば良い」

 あくまで楽しそうに、男は軽く口にする。
 止めるつもりはないぞと、わざと得物を手から離してみせさえした。

「諍いも何も起きておらぬのに、
 間に入る理由があるのなら……な」

 異質な動きは彼女に怪しまれる。
 自然に動く隙間など残していないと、絶対の自信。
 平素以上に彼が近づけば、彼女は怪訝に思うに違いない。
 それでも気概があるのなら、好きにすればいいと、大上段に構えている。
 四国を治め、若さのわりに種々の場数を踏んできた彼だが、
 しかし流石に敵のほうが上手すぎる。
 数々の死線をくぐり抜け、領土を守り、家を続けた男が本気になれば、
 同じ程度で勝てるわけがない。

「……同郷として、泣かせる真似は見過ごせん」

 まったくの負け戦でも、立ちむかわねばならぬ時があるように。
 譲れない考えはあるのだと、目を合わせた。
 握りしめた拳は、決意のあらわれと見てとれた。
 言外に滲む雰囲気から、紛う事なき本心なのだと伝える。

「そのつもりは無い」

 軽々とその射抜く光をかわし、あっさりと言う。
 話はすんだとばかりに武器を手にし、庭を抜けていった。

 先に追いかけたのは、彼女だ。
 その相手が悪かったのだと、知らなかったのは誤算か、それとも。
 結末を見とどけることしかできそうにない彼は、嘆息して弦を爪弾いた。





 > 性格の悪い島津。
 > たまにはこんなのも……あり、でしょうか。
 > いえ基本的にはないと思いますけど(09.05.17)
 > 気にするようにし向けて自爆させたら、
 > そのあとは思いっきり甘やかす方向が希望です。
 > 飴と鞭方式というか、自覚させないとデレないだろうから先に徹底的に。