< まよいごは >


 彼は、見るともなく市を眺めながら、のんびり歩いていた。
 客人の出迎えで大わらわの家が鬱陶しくて、仕事を押しつけられる前に逃げてきたのだ。
 彼の家は大した名家だが、当主は兄であって自分ではない。
 面倒なしきたりも、正装してのあれこれも、億劫なので退散してしまった。
 兄たちはあきれながらも納得して、彼抜きで作業を進めていることだろう。
 一人くらいいなくても、たいした支障はあるまい。
 下手な時間に帰れば引っぱり出されるので、さてそれまでどうやって過ごすか首をひねる。

 昼から賭場も悪くはないが、今日はそういう気分でもない。
 酒を飲むのも悪くないが……それには勿体ないほどの上天気。
 とりあえずそのあたりをふらつくことにした。

 大通りは所狭しと店が立ち並び、色とりどりの布が天蓋代わりに張られてはためいている。
 それ以上の人々がゆっくりとした足どりで品を物色していた。
 今日もなかなか盛況のようで、各地の特産品や、
 遠くから行商にきたのだろう、あまり見かけない品々もあった。
 とりたてて買うつもりはないので遠巻きにしつつも、
 混雑に乗じてよからぬ輩がいないか目を光らせる。
 何人か兵は配置されているが、この混雑で彼らだけに任せるのは酷だろう。
 小さな路地にも視線をやったのは、そんな考えからだったのだが、
 そこにいたものを見て、男は思わず眉をしかめた。

「なにをしている?」

 声をかけると、びくりと小さな肩が震えた。
 背をむけていたその人物は、踵を返すと毅然とした顔でこちらを見上げてくる。
 年のころは五、六歳かもう少し上くらいと判じた。いずれにせよ幼いことに代わりはない。
 色味は地味だが、仕立てのよさそうな着物を身につけている。
 綺麗に整えられた髪の毛からしても、それなりの身分の少女であることは察せられた。

 しかし周囲には誰もおらず、目端が赤くなっていることからも、
 この少女の現状は明らかだった。

「……迷子か」

 呟くと、ぱっと赤面する。
 しかし事実なので言い返せないらしく、ぎゅっと衣の裾をにぎりしめた。
 くしゃっと顔が歪んだが、泣くまいと必死に自制しているらしい。

「どこの者だ?」

 近づき、視線を同じにすべくしゃがみこむ。
 間近に顔を見ても物怖じした様子はない。
 自分の顔はあまり子供受けしなく、泣かれることすら多々ある。
 わめかれては正直困ったところので、この態度には好感を持った。

 だが、少女はいっこうに名を告げない。
 そこには不安と、強い不信感があるようだった。
 迂闊に名乗ればかどわかされる、そう言い含められたのかもしれない。
 たとえ身分を告げなくても、外見で狙われそうではあるのだが、それは置いておく。
 だがこれでは彼女の身内を捜すどころではない。
 どうしたものかと考えて、一つ閃いた。
 小さな身体をひょいと抱え、そのまま肩に移す。

「なにをする!」

 発せられた声は子供特有の甲高さで、耳が少し痛い。
 少女の軽さは普段の得物と同じくらいで、こんなものかと少し驚いた。
 武器を肩にかつ時ぐとは違う、伝わってくる体温。
 子供のいない自分には、はじめての感触だった。

「こうすれば見通しがいいだろう?
 名乗らなくていいから、見知った顔がいたら俺に知らせろ」

 ぽんぽんとあやすように膝を叩くと、抵抗が減る。
 このままここにいても迎えがこないことはわかっているのだろう。
 やがて渋々肩に落ちつき、手を膝の前に持ってきた。
 小さな手は、己と同じとは思えないほど白く傷ひとつない。
 柔らかな見た目は、そういえばもち肌だのと表現されるなと想起しながら、
 男は路地から光の溢れる大通りへと出る。

 少女は一瞬眩しそうに目を閉じたが、普段は経験できない高さにすぐさま夢中になったらしい。
 心持ち身を乗りだして興味津々にあちこちを落ちつきなく見渡しはじめた。
 肝心の相手が見つかるかどうかは少々疑わしいくらいだが、
 指摘しても変わらないだろうと好きにさておく。

「しかし、お嬢ほどの家の娘なら、親だけではなく家臣もいるだろう?
 なぜまた一人でこんなところに……」

 ゆっくりと人混みを縫いながら、答えを期待せずに呟く。
 触れる着物の肌触りは絹のもので、間違いなく上流階級の娘だ。
 彼の予想に反し、ややあってかたい声が上から降ってきた。

「父上は……おからだが、わるくて。
 母上は、もういない」
「……そうか」

 沈んだ声に慰めをかけることはせず、ただ相づちだけを打つ。
 だから肩に乗せてこれほどはしゃいだのだろう。
 自分にすら、朧な記憶で背負われた思い出があるが、少女にはそれがないのだろう。
 これくらいで喜ぶなら、安いものだとばかりに抱え直した。

 と、客引きの大きな声が響き、すぐ目の前を母子連れが通る。
 粗末な衣装を着ているが、二人とも楽しそうな笑顔をしている。
 少女は無意識にそれを追う、……少しの羨望をこめて。
 母子が駄菓子の屋台にすわりこんだところまで観察すると、再び視線を前にもどした。

「今日はみんなで、こっちにきて。
 はじめてだったし、父上がここは凄いところだっていうから。
 だから、見てみたくて……」

 やはりな、と胸中で確信する。
 彼女はおそらく、今ごろ家にきている一団の娘だ。
 この近隣の情報はあらかた入ってくるが、近くに他方から客を招いている場所はない。
 あってもそれは馬でなければたどりつけないから、子供の足では無理だ。
 地理的にも市までなら、小さな足でも彷徨ってくる可能性はある。

「それは勉強熱心だが、迷子になった時は助けを呼ぶものだろう」

 見知らぬ相手に声をかけることは勇気がいるし、
 それが善人であるともかぎらないが、路地裏で黙っているよりはましだ。

「なにか危険を感じたら、叫べばいいしな」

 それができるのは女子供に許された特権であり、
 身を守るための技でもある。
 しかし少女は一気に表情を険しくし、男を強く睨みつけた。

「そんなみっともないこと、できない。
 弱々しいまねは、いやだ」

 幼子らしいたどたどしい言い回しのくせに生意気なことをとは、言えなかった。
 矜持を持つのに年齢は関係ない。
 しっかりした意識を持つのは、好ましいくらいだ。
 だが、それを時と状況に応じて使い分けられないあたりは、やはり童子だと笑みを浮かべる。

「戦においては、生き残ることが必要だ。
 どんな戦功を立てても、死んでしまえばなんの価値もない」

 突然の発言だったが、少女はその意味に怯えることもない。
 口を挟むことはせずに、黙って続きを待った。

「自尊心は大切だ、敵に背をむけられない、というのもな。
 だが、その結果大きな失敗をしでかしたら、責任は一人の問題ではなくなる」

 ある程度の家柄なら、ゆくゆくはその下につく者がいる。
 上のものの采配ひとつで、彼ら彼女らの命は簡単に失われてしまう。
 京の都で起きた騒動といい、足利の世は揺らぎ、戦乱の波はすぐそこまで近づいている。
 彼女が長じるころには、ひとつの決断がその後を左右することも少なくないだろう。

「真にみっともないのは、そうして駄々をこねて、
 結果的に周囲を困らせることではないか?」

 首をあげて問いかけると、ぅー、と唸り声が返ってきた。
 年のわりに聡いようで、内容の理解は十分できたようだ。
 今すぐに納得とはいかないだろうが、おとなしく聞いただけでもいいことにする。

「まあ、無事に帰れたら、ちゃんと謝ることだな」

 これでしまいとばかりに、わざと明るく茶化してみせる。
 少女はくるくると表情を変えていたが、やがて小さな声で囁いた。

「……ありがとう」
「どういたしまして」

 おどけて返答すれば、やっと年相応の笑顔がこぼれる。
 つられて笑みを返したが、次の瞬間その顔がさらに輝いた。

「じい!」

 人混みの先に知った顔があったのだろう。
 身じろいだ彼女が降りやすいよう、手をそえて身体をかがめてやる。
 すばやい動作で降りた娘は、一目散に駆けようとして、はたと止まりふりむいた。
 どうしようと悩む姿に、ひらひら手をふってみせる。

「いいからはやく行け、今度は迷うなよ?
 ……まあ、そうしたらまた俺が見つけてやるが」

 わざと余分につけ加えれば、頬をふくらませた少女は、

「もう迷わない!」

 大きな声で叫んで、脱兎のごとく走っていった。
 すぐさま人いきれにもぐりこみ、余韻さえも残さない。
 そのじいとやらの姿は見ていなかったから、家に帰っても誰かはわからないだろう。
 むしろ今帰宅して再会するほうが、あの少女にはこたえるに違いない。
 めまぐるしく変わる表情を思い起こして、ふっと笑った。
 そんな彼女のためにも、まだ帰れないと都合よく一人でうなずくと、
 彼は少女の去った方向とは反対に足をむけた。
 頭の中に出てくるのは、昼から酒を扱っている店の数々。
 家に帰るのは明日でいいかと、意気揚々と大通りを抜けていった。





 > 捏造万歳作品です(開き直りました
 > 年齢的には四十と五で!
 > こんなことがあってもいいじゃないか、と妄想をたくましくしてみました。
 > 口調は意図的に変えています、若そうに……したつもり。(09.05.12)