< 昔日の香 >


 供を連れずにお一人では、と言って、血相を変えてついてこようとする臣下たち。
 だが、戦場に行くわけではないし、そのあたりのごろつきに負けるほどでもない。
 行く先が先なだけに、ものものしいことは控えるべきだと諭せば、反論はなく。

 だから彼女は一人、そこに立っていた。

 眉根を寄せて、真剣な面持ちで。
 一体どれほどの難題にのぞむのかと訝しむほどの硬い表情は、
 少々のことではもとにもどらぬらしく、いびつに歪んでしまっていた。

 目の前に広がるのは、まだ若い木々。
 人の手で植えられたとすぐにわかる、等間隔。

 かつて、ここには立派な邸があり、周囲には同じような、けれどもっと成熟した樹木が茂っていた。
 手入れはあまり行っていなかったので、遠目には館が隠れるほどで。
 それは無精などではなくて、有事の際を考えてのことなのだと、いつか聞いた。

 しかし戦国の世が明け、九州もまた動乱の渦に巻きこまれた。
 結果自分の家は破れ、家臣も幾人か失い、懐かしい邸宅は破壊された。

 巡りめぐって仇敵と同じ主に仕えることとなり数年。
 ようやく全国が落ちついてきたので、少し暇を願い、故郷へやってきた。
 潮のにおいが近かったり、感じる空気が暖かかったり……
 大阪に慣れていても、船が岸へ寄るごとに、ここが己の根なのだと実感した。

 跡地などを見ても、なにがあるわけではない。
 感傷に浸る姿を見せたくなくて、随行を断ったのもある。
 自分でも、くだらないと思ったのだから。

 けれど、幼いころを過ごした場所への想いというのは、
 本国を離れたせいか、年々増すようになり。
 なんの面影もないとしても、それでも一目見たいと切に願うようになった。
 そこに新たな邸があろうとも、荒れ果てたままであっても。
 記憶の中の在りし日を浮かべて、少しだけ立ち止まりたいと、
 情けないと笑いたくても、紛うことなき本心。
 どんな姿でもとり乱さないよう、覚悟を決めていただけに、
 眼前の穏やかな光景がにわかには信じられなかった。

 無意識に目をこすり、何度も瞬きをしてみるが、
 そこにあるものが変わるはずはない。
 おずおず近づいて手を伸ばせば、葉の感触と緑のにおいがした。

 橘の木だけではないが、最も多いのは、己と同じ音を持つそれで。
 咄嗟に浮かんだのは一人の姿。
 だが、同時にこういった行為をまったくしそうにない人物でもあり、
 いくらなんでも……と首をふったが、気になったままも居心地が悪い。
 踵を返して、一番近くにあった民家を訪ねた。
 身なりから高貴な者だと感じたのだろう、家の者は丁寧に受け答えてくれた。

「あそこは昔、とても立派な領主の舘があったそうで。
 その魂が安らかにいられるよう、きちんと世話をするようにと、言いつかっております」

 土地のものではないのだろうその言葉に、曖昧にうなずいて礼を言う。
 わざわざ他所から職人を呼んだだけはあるなと、跡地にもどりながら思う。
 ここからでも見える若木は、なんの妨害もなく悠々と枝葉を広げているのがわかる。

 今、ここを治めているのは、彼の一族。
 兄弟も多いから、これを行ったのがあの男であるとは断ぜない。

 自分の父は、九州で名の知らぬ武将はいないと囁かれたほど、
 ひとかどの人物だったから、敬い恐れられていても不思議はない。
 祟りを避けるべく故人を奉ることは、古来から行われてもいる。

 再びそこに到着すると、樹木がよく見えるあたりで足を止める。
 ……と、背後にひとの気配を感じた。
 敵意はないし、覚えのあるものだったので、ゆっくりとふりむく。
 果たしてそこには予測のとおり。

「……やれやれ、言う前に見つかるとはな」

 苦笑いをする島津当主に、剣呑な眼差しをむける。

「お前なのか、これを命じたのは?」

 周囲をぐるりと見渡してから、問いかけた。
 戦という場に、己の命を賭け、博打と言い切り笑う、鬼と呼ばれる男。
 その様子からは、とてもこんな植樹をするとは思えない。

「……儂自身も似合わぬことと思うたがな」

 自覚があるのだろう、その笑みは困惑しているようだった。
 珍しい表情に毒気を抜かれ、いつもの憎まれ口も出てはこない。

「道雪殿は大した御仁であったし、この邸も見事なものだった。
 荒れ果てたままにしておくのは忍びない、とは、皆の意見よ」

 当主は彼ではあるけれど、兄弟らも健在で、
 彼らの強い結束が島津を支えていると言っても過言ではない。
 そんな全員の合意であれば、これほどの数の植木も不可能ではないだろう。

 敵にすら感嘆される、自分の父。
 記憶にあるそのひとは大きくて、たくましくて、病を得ていたにも関わらず、
 腕の力は相当で、子供の己を軽々抱きあげてくれた。
 この世に父以上の人物はいないと、本気で思って憧れていた。
 父に認められるような存在になろうと、勉学も、そして武道も励んで。

「橘は昔を懐かしむと歌にもあったろう?
 だからか、こんな慣れぬことをしたくなった」

 そんな彼女の回想に気づいたのか。
 男は青々とした木々に目をやりながら、低い声で呟いた。

「五月待つ……か」

 有名なその和歌は、勿論彼女も知っている。
 最初の一文を口ずさんで、あとは心の中で歌い継いだ。
 数百年前から変わらぬ、ひとの心をよくあらわした詩。
 ただ、思い浮かべるのは想い人ではなく、父の幻だけれど。

「……お前にしては粋な計らいだな」

 皮肉な色味はいつもより減り、柔らかな微笑が漏れる。
 旅に出る前は、想像もしていなかった穏やかな光景。
 けれど触れればそれはたしかに存在する。

 戦のない、太平の世。

 みずからの手でつくったものではないが、それはたしかに理想だった。
 だから今は、その暖かい空気に浸っていたい。
 ここに父がいないことは残念だけれど……

 柔らかな風に身をまかせ、少しだけだと目を閉じた。





 > 橘のお話その三。
 > 大きな体で苗木を植える姿を想像するとちょっと微笑ましいです。
 > ……いえ、実際植えたのは島津ではないですが。
 > お互い言わない・言えない言葉を抱えつつ、微妙な距離でいるのを書くのは楽しいです。
 > ある意味では非常に物足りないですが(笑(2009.04.27)