< 橘化為枳 >


 趙雲を牢から解いて逃げる途中、思いも寄らぬ相手と出くわした。
 寡兵で戦う姿を見て、己も脱出の途中だというのに、若き武将は迷わず助けに入る。
 今回の目的は、あくまで趙雲の救出。
 敵に囲まれている状況からして、彼女もまた反乱軍と思われたが、
 隠密行動ゆえにこちらも兵数は少ない。
 しかし、義にあつい仁君の忠臣だけあり、彼は即座に槍を手に飛びこんだ。

 彼がむかってくれたことで、自身が助力するいいわけができた。
 見捨てることはできないが、今の己の仕事は彼を救うことなのだ。
 彼女に手を貸し、結果再び趙雲を捕らわれでもすれば、なんのためにここまできたかわからない。
 もしもの時は星彩に任せ、先を急がせ救助に走ろうとすら考えた。
 そうならずにすむと男は内心息をつき、遅れずついて周囲の敵を一掃した。
 短く彼女は礼を述べ、脱出という目的は同じだったので、協力して逃げることになった。

「久しいな、立花のお嬢」

 ざっと見たところ大きな怪我もなく、若干憔悴しているようだったが、
 その目の強さは記憶と同じで、安心と同時に嬉しくなる。
 狭い道を走りながら声をかければ、むっつりとした表情が返ってきた。
 手にした刀は、すぐにもこちらに刃を投げそうなほど。

「まさか貴様に最初に会うとは思わなかったぞ、義弘」

 どうやら仲間とはぐれ、このあたりまで流れて味方を捜していたらしい。
 遠呂智に服従しているはずがないとは予測通りで、彼女らしいと思う。
 こんな剣呑な表情で睨まれて、覚える心地が懐かしいとは、
 我ながら変わった趣味になったと苦笑いしつつ、噛みつく少女を軽くあしらった。

 そんな、自分たちにとってはいつもの舌戦だが、
 はじめての彼らには面食らうものだったらしい。
 狼狽した様子で趙雲が割って入り、星彩は珍しそうに彼女に声をかけている。
 本気で喧嘩をしていると見られたなら、以後少し気をつけようと考えた。
 太閤らのもとでは、いつものことかと笑い話ですんだのだが、場所が違うのだと改めて感じる。

 結局、救援の礼を兼ねて、ァ千代も趙雲らと行動を共にすることになった。
 その後情報を得、南中にて味方と合流。
 敵を退けるため、得意戦法である釣り野伏せを披露した。
 ァ千代は詳しく聞くこともなく巧みに動いて作戦成功に一役買ったが、
 島津のお家芸に感嘆した若い武将に噛みついているのも見てしまった。
 八つ当たりの認識はあったのか、すぐさまその場を離れてしまい、声をかけ損なってしまう。

 あとに残された姜維は困惑した表情で立ちつくしている。
 なにか気に障ることを言ったかと気に病んでいるのだろう。
 大股で近づくと、青年に声をかけた。
 自己紹介によると、彼は蜀丞相の弟子だという。

「先刻の言葉は気にせんでいい。
 ……儂と立花のお嬢は少々因縁があってな」

 簡潔に説明すると、三国にもそういった仇はあるのだろう、すぐに事情を飲みこんだ。

「橘化為枳とは、ならないのですね」

 それから、そんなふうに呟いた。
 なんのことかわからず、男は軽く眉を寄せる。

 二つの世界が融合され、言葉の大意はなぜかわかるが、細かい言い回しはすぐに理解できない。
 聞き慣れぬ言葉は、慣用句かなにかだろうが、はて、と首をひねる。
 不思議そうな男に、青年は慌てて説明を添えた。

「橘、化して枳となる、という言葉です」
「からたち……同じような植物だが」

 どちらも柑橘系であり、実はあまり食用にむかなかった気がする。
 だが、己は戦術ならともかく、草木には詳しくない。
 今ひとつ自信のない呟きに、青年はええ、とうなずいた。
 そして軍師らしく、丁寧に説明を開始する。

「南の地の橘を、北へ植えると枳に変わってしまう……
 つまり、境遇によってひとも変わってしまうたとえなのです」

 植物にとってのそれは、生きていくために必要なこと。
 風土の違う場所で、寒さに耐えて仲間を増やしていくための知恵と努力。
 人間も土地や状況が変われば、対応を余儀なくされる。
 だがそこには思惑や、打算が加わることも少なくない。
 清廉潔白であった人物が、悪逆非道の道に落ちることすら、まれではないのだから。

「あのお嬢にかぎって、それはなかろうな。
 なにせあの性分だ、変わることは難しかろう」

 本人が聞けば激怒しそうだが、幸い姿はない。
 それをいいことに、男はくつくつと笑いながらそう評した。

「だが、それが故に、こちらが道を違えぬかぎり、決して裏切らぬ。
 味方としては心強かろう」

 少々きまじめすぎるがな、とつけ加えて。
 まだ出会って間もないが思い当たる節があったのだろう、青年も大きく賛同した。
 生きにくいほどのまっすぐさは、しかし、この混沌とした世界ではなによりの頼りになる。

 圧倒的な力に魅入られた者、家臣のために服従した主、おそらく計算で敵方についている将。
 かつての味方も、多くあちらの軍勢にいる。
 様々な事情があることは、戦国の世でも同じであったから想像に難くない。
 親兄弟であっても、敵味方になることはあるし、子が親を討つことも、その逆すらもあったのだから。

 己は強い敵については、つまらぬ博打だと判じてこちらに立った。
 おそらくァ千代は、たとえ仮初めでも膝をつくことを許せなかったのだろう。
 その潔さと清廉さは、味方を得れば何倍にも力を増す。
 彼女のかざした刀は、走る雷光は、間違いなく魔を払い道しるべとなるだろう。

 名の知れた槍使いを救うという、小さな博打。
 けれどそれが故に彼女と同じ軍に属する結果になった。
 これは大きな当たりだと、男は確信する。

『この先の賽の目が楽しみなことよ』

 実直そうなな青年に賭け事めいたことを言うのは躊躇われたので、
 彼はひっそり心の中で呟く。

 彼女と共に戦場を奔れる、それがなにより待ち遠しかった。







 > 辞書を引いたら出てきた言葉です。
 > これだから辞書を読むのはやめられません(笑
 > 見た瞬間「ぎんちゃんは絶対変わらない!」と思いました。
 > そんなわけで島津に代弁してもらいつつ、
 > OROCHIでの絡みの少なさを脳内補完。
 > 設定集によるとァ千代は捕まっていたところを逃げたそうですが、このままで(09.3.25)