< 晴着 >


 ぱたぱたと、廊下を走る音が聞こえた。
 軽い音は女性のものだが、足どりは武術を嗜んでいるもののそれで。
 覚えのある気配だったので、彼はそちらへ目をむけた。

 果たして予想通り、そこには己を怨敵と呼んで憚らない娘の姿。
 平時ということで鎧を外し女物の着物を身にまとっているが、
 無地でしかも深い緑色と地味なことこの上ない。

『お嬢ももう少し着飾ってもよかろうに』

 いくら男として育てられてきても、と、思わず胸中で呟く。
 単純にその姿を眺めたいだけでもあるが……
 とその直後、彼女と視線がもろにぶつかった。

「島津」

 すべりでた言葉は刺を含んではいなかったが、時期的に心を読まれたようで、
 鬼と評された己にしては珍しく、寸刻間を空けてしまった。
 しかし庭から廊下へ近づく間に、気取られぬよう調子をもどした。
 側に寄った時には、普段と変わらぬ、揶揄するような笑みを浮かべて。

「どうした、立花のお嬢」

 いつもであればお嬢と呼ぶな、なれなれしい……だの、
 罵詈雑言が飛んでくるところだが、今日の彼女はなにかがおかしい。
 高さの差があり、珍しく見上げた彼女の顔は、困惑しているようだった。
 大体いくら急いでいても、足音を立てて歩いていたところは見たことがない。
 危険性があるものではないようだが、
 そこまで気が回らないほど、さて、なにがあったかと首をひねる。

「……誰かの手を煩わせるくらいなら……そうだな、島津のほうがいいか」

 考えている間に彼女のほうも結論を出したらしい。
 わけのわからない呟きを落としたあと、うん、とうなずいた。

「ちょっと顔をかしてくれ」
「なんじゃ、鍛錬か?」

 他に思い当たらず、問い返す。
 しかし自分も相手も、仕合える服装ではない。
 後ほどの約束を今する気なのかと思ったが、彼女は違う、と首をふった。

「そのままの意味だ、……少しつきあってくれないか?」

 下手に出られ、ちょっと目を見張る。
 彼女からこんな申し出があるとは、青天の霹靂に近いものがある。

「ああ、構わん」

 一体なにがあったのか、単純な興味と、
 頼まれて断る理由もなかったので、子細は聞かずに承諾した。

 彼女は先に立って廊下を進む。
 なにも喋ろうとしないので、男もそれにあわせて無言を貫いた。

 やがてたどりついたのは、彼女にと当てられている私室のひとつ。
 勿論立花の邸は別にあるが、宴席などの時に彼女用にと与えられているものだ。
 同じような室は、当然彼にも存在する。――ここからは遠く離れているが。

 そこには長櫃が一つ、置かれていた。
 桐でできた箱は、一度は開けたのだろう、紐が解かれたままで置いてある。
 彼女は男を部屋に入れると、その桐箱を開けてみせた。

「……ほう、これは」

 覚えず、感嘆の息がこぼれた。

「京のもの……だよな」
「そうさの、よい生地とよい刺繍だ」

 広げてみれば一目で腕の立つ職人の技とわかる。
 薄い蒼から濃い群青へ、上から下へと染めて。
 色を邪魔せぬよう丁寧に細かく施された刺繍は、四季を問わぬなにともつかぬ花々。
 ところどころを金糸で縫いとってある。
 雷の逸話を持ち、花の名を冠する彼女には相応しい衣装と言えよう。

「太閤殿から、とどいたのだが……一体、どういうお考えなのか、わからなくて」

 迷子のように困惑しきりの彼女は、年よりも幼く見えて。
 ひくりと動いた唇は、幸い見咎められずにすんだ。

 考え、など。
 ……決まりきっている。

 秀吉の女好きは、有名な話だ。
 ねねはよくできた妻で、彼にとっては必要不可欠だが、それとこれとは別らしい。

 美人と見れば声をかけているのだから、
 それは彼女に対しても同じだろう。

 着飾った姿を見たいという願望と、
 この贈り物よってあわよくば、という欲望と。

 秀吉にしてみればわざわざ言葉をそえなくてもわかると思ったのだろうが、
 その点では彼女を理解していない。

 現に彼女はその意味に気づけず、憎いはずの相手に真意を問うているのだ。
 ……もっとも、訪ねる相手は誰でもよかったのだろう。
 むしろ手間をとらせる分、己のほうが気兼ねないというのもあるに違いない。

 意味は即座にわかったが、正直に答える気にはなれなかった。
 たとえ告げたとしても、彼女が秀吉に応えことはないだろう。
 ……だが……

「……わからないか?」

 不安そうな声に、はたと我に返る。
 華やかな衣を手にとったまま、彼女は途方にくれていた。
 彼は素早く言葉を組みあげ、彼女にむかって笑ってみせた。

「それはきっと、奥方殿の采配じゃろう」

 唐突に違う名前を出され、きょとんとまばたきをする。

「ねね様……の?」
「そう、お嬢はこの間の宴席でも、今日のような服装だったじゃろ?」

 地味な色の、飾りもなにもない着物、髪の毛もそのままで簪の一つもささず。
 礼儀に反した服装ではなかったが、逆を言えばただそれだけだ。

「だからじゃろう、今度の宴席では、この服を着るといい、とな」

 辻褄としては問題ない。
 奥底で己の言葉に満足しつつ、顔はあくまで真面目に保つ。
 彼女は疑う様子も見せず、まじまじと着物を見つめた。

「気を遣っていただいたんだな……」

 そっと着物をたたむと、ふう、とひとつ息を吐いた。

「あの方はそういうことが好きな御仁。
 気に病むよりは礼を述べに行くほうが喜ばれるだろうて」

 世話焼きの女性であることは、秀吉の女好きと同じくらい周知の事実。
 秀吉恩顧の武将たちは、皆彼女に頭があがらない。
 あの三成でさえそうなのだから、その力たるや相当なものだ。

「……そう、だな、あとでお礼に伺おう」
「それがいい」

 色々な意味で、と内で続ける。

 納得した彼女は、安心した表情でこちらを見た。
 いつもとは違う、うっすらとした笑みまで浮かべて。

「……その、助かった、島津。
 どうしていいか、悩んでいた、から」

 やけに素直なのは、その手にある着物のせいか。
 高価なものをと遠慮しつつ、手放したくないとばかりに抱えこんでいる。
 やはりおなごなのだなと、しみじみしてしまいそうになった。
 だが余計なことを言えば桐箱が飛んできそうだったので、なんのと笑み返すにとどめた。

 礼を言われる筋合いはまったくないのに、このお嬢ときたら、時々すなおすぎて困る。
 しかし、男の本意がわかるわけもない。

 最初に捕まったのが己でよかったと心から思いつつ。
 彼女に「真実」を告げない己に、そっと苦笑したのだった。





 > 島津は確信犯(誤用)
 > そしてぎんちゃんは素直すぎ。
 > でも、女性としての礼儀とかは習っていても、
 > こういうかけひきは全然知らないと思うのですよね。
 > 後日談もそのうち……書く予定です。