< あなただけ >


 夜。
 わずかな灯りのともる室内。
 寝床に横になっていた彼女の耳に、囁きがとどいた。

「……斬りませんよ」

 不意の発言に、目を瞬いた。
 光の当たらない場所にいるため、夫の表情はよく見えない。
 なんのことかとしばらく考えて、ようやく合点がいく。
 ゆっくり起きあがると、少し肌寒かったので、掛布を肩に巻きつけた。

「聞いていらしたのですか?」

 問うと言うよりは、確認。
 返答はなかったが、でなければ先の科白が出るはずもない。
 ……ふぅ、と息をついた。

「あんな話、聞かなくてもいいものです」

 聞いてほしくもなかったのにと、心で加える。
 とは言え城の廊下など、誰でも通る場所。
 内容がああいうものだとわかっていれば、人払いのできる場所に誘導したのに。
 己の判断に舌打ちしたい気分だった。

 今はもう、平静を装って執務に当たっているけれど。
 彼を斬り捨てたあとは、ひどいものだった。

 泣いていたことを知っている。
 傷ついたことも、悔やんだことも。
 眠れぬ夜を数えたことも。

 そばにあって、それに気づかぬはずがない。
 決して彼は心ない人間などではないのだ。

「……たとえ……貴女が失策をしても」

 聞き取れないほどのかすれた声は、余韻のようで背筋を震わせる。
 なんとなく目を閉じると、髪に指がふれた感触がした。

「斬り捨てたりは、しません」

 唇をくすぐるような低い声。
 けれどその内容は、とても流せるものではない。

「それでは示しがつきませんでしょう……?」

 目を開けづらくて、そうしてはいけない気がして。
 閉ざしたままに、それでも言葉をつくった。
 すぐ前にいるはずの存在は、微動だにしない。

「それでも、です」

 淡々とした口調は、前もっての考えであることを示していた。
 それから、やや空気が振動する。笑ったらしい。

「それに、貴女が失策をする時は、私自身が誤った時だけでしょう。
 ですから、そういった心配はしていません」

 紡がれた発言に、そっと目を開ける。
 うっすらと微笑している姿に、思わず笑み返した。
 甘えるように身を預ければ、きちんと抱き返してくれる。
 最低限鍛えた身体を知っているのは、その温度を感じられるのは、自分だけの特権。

「そうですね……」

 もしもの時は、他の誰かではなく、あなたに斬ってほしい。
 そんなくだりがどこかの物語にあった気がするが、馬鹿げている。
 妻である自分が、夫につらい思いをさせてどうするというのか。

 彼の策を成功させるべく、自分はいつでも全力をもって当たっている。
 万一失敗したその時は、斬られる前に自害しそうな、そんな確信めいた予測もある。

 互いがたがいを認めていて。
 片方の失敗は同時に双方の最期だと思っている。

 だから、他の誰が口さがなく言おうとも。
 余所からは戦乱に身を置いて不幸そうに見えても。

 それでも自分は間違いなく、幸福なのだ。





 > 帰りを待つだけなんて、耐えられそうにないタイプです、私は。
 > なので、こういう夫婦のほうがいいなぁ、と。
 > ブラウザバックでお願いします。