< 斬り捨てたものは、 > 城内によくある風景。それは女官のひそひそ話。 いつものことだし、多少そうしていても、仕事をきちんとしてくれれば、あまり咎めることはしない。。 ただ、自分はそういった陰口に興味がないから、加わったことはない。 けれどこの日は違った。 おしゃべり好きと彼女が認識しているその女官のほうが、彼女に声をかけてきたのだ。 「月英様は先だっての街亭の戦には、おいでにならなかったのですよね?」 戦乱の世にどれほどの意味をなすとも言えないが、彼女は割合に裕福な家の娘だ。 それなりの年数をつとめていることもあり、女官の中でも高い位置に属している。 そして個人的な情報網も持っているらしく、城内の噂には一番詳しいらしい。 彼女の言葉に、月英はええ、と軽くうなずいた。 それを見た女官は、整えた眉と声をひそめてみせる。 「気をつけたほうがよろしいと思います、わたし」 「……気をつける?」 意味がわからずに反芻すると、女官はずいっと月英に近づいた。 「だって! 先の戦で諸葛亮様は馬謖様を斬ったというではないですか。 自分の後継者と呼んでいたかたをですよ?」 抑えた大きさだったが、女官がそのことを快く思っていないことは、なじるような調子から明らかだった。 言われるまでもなく、そのことは知っている。 多数いる将の中、特に馬謖と姜維に目をかけ、己の知識を惜しげもなく与えていたことも。 自分も所持している書物や知識を、彼らに与えていたのだから。 「あんなに目をかけてらしたのに、策の失敗で斬るとは、なんて恐ろしいのでしょう……」 まるで我が身を斬られたように、身震いをしてみせる。 言いたいことが喉もとまで出かかったが、とりあえず相手の話をすべて聞こうと思い直す。 月英が自制心を総動員しているとは露知らず、むしろ無言であるのを肯定ととったのか。 女官の言葉はますます熱を帯びていく。 「ですからわたし、心配ですの、月英様が。 妻といえども安心はできないと思って」 「……つまり、いつ何時、私が孔明様に斬られるともかぎらない。 そう言いたいんですね?」 核心を突いた問いに、流石に言葉はなかったが、はっきりとしたうなずきは返ってきた。 女官の目からしても本気でそう思っているらしい。 ……思わず、深くため息をついた。 その後顔を上げて、気遣わしげな女官を見据える。 うなだれていたと思っていたらしい彼女は、月英の厳しいほどの表情にやや気圧されたようだった。 「お言葉ですが、あの戦での馬謖の失敗は大きなものでした。 危うく軍が全滅するところだったのです。 それも、自身の策に溺れ、孔明様の言葉を忘れたからです」 山上に陣を敷いてはならないと、彼はくどいくらいに念を押した。 馬謖はたしかに了解していたのに。 それなのに、いざ現場に赴くと、目先の欲にとらわれ、その思いを変えてしまった。 結果、司馬懿にその上をいく策をとられたのだ。 犯した失態は、とても許せるものではない。 「あのような失策をなんの咎めもせずにおれば、蜀陣営の連携すらも崩れたでしょう。 孔明様の判断に誤りはありません。私だとてその場にいれば、同じことをしたでしょう」 それを、ただ殺した、という理由だけで弾劾する。 その場にいもしなかったくせに、わけ知り顔で余計な忠告までする。 自分も女ではあるが、こういった手合いとひとくくりにされたくはないと、心から思う。 「孔明様は意味なく人を誅することはありません。 もしも私がそうなったとしたら……」 き、と睨むほどの視線を受け、女官は一歩下がる。 「その時にはそれだけの理由があるのです。 ……以後、口を慎むように。 勝手な噂の吹聴をするなら、それなりの対応をとらせていただきます」 劉備亡き後、蜀を治めているのが諸葛亮だというのは、まぎれもない事実。 だからと言って月英の地位が上がるわけではないが、必然的に手伝うことも増える。 王宮の人事なども彼女が扱うことが多いため、この脅しは効果的だった。 女官は表情を歪めて、辞去の挨拶もそこそこに逃げるように立ちさった。 「……劉備様がいらっしゃったころは……」 こんなことはなかったのに。 呟きかけて、慌てて首をふった。 昔を懐かしむのは、平和の世になってからだ。 今はこのおさまらない気持ちを鎮めたい。 そう思った彼女は、修練場へと足をむけた。 > どこにも口さがない人間はいると思います。 > ある意味、幸せなのかもしれませんが。 > ブラウザバックでお願いします。 |