− 調理中のあれこれ − |
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料理はストレス解消になるんです、と彼女は言った。 材料の中からなにを使い、どう料理するか。 いかに無駄のない手順で洗い物を少なくしつつ、同時進行できるか。 考えることは膨大で、それらをこなす能力は仕事のマルチタスクに似ている、らしい。 わかることはわかるのだが、正直シュリには、そこまで緻密にする必要があるのか? と思うところだ。 だが、ストレス発散になるのだと当人が言って、事実楽しそうなのだから、止める道理はない。 恋人がつくる故郷の料理、しかもなかなかに手の込んだものが食べられるのだから、シュリは得なばかりだ。 難点を上げるとしたら、調理にかかりきりになるため、その間は己をかまってくれないことだが、逆を言えばシュリの自由時間だ。 ざっくりとした予定時間は教えてくれるし、いてもいなくても気にしないから、外出することもあるし、部屋で勝手に過ごすこともある。 だから不満なんてあるわけもなく、今日も手遊びに木彫りを進めているところだった。 ひととおり形になったところで手を止めて、台所のほうに視線をやる。 広々としたキッチンは開放的で、くるくると動く姿がよく見えた。 邪魔だからと結ったポニーテールはもともとの長さが短いためにとても小さいが、ひょこひょこ跳ねるのは面白い。 真新しいやや渋いピンク色のエプロンは、実用性重視なところが彼女らしいと思う。 なによりご機嫌に恋人と二人で食べるための調理をしているのだ、これが嬉しくないわけがない。 思えば、ついつい予定を入れてしまい、こうして料理している姿を見ることはほとんどなかった。 勿体ないことをした、と飽きることなく一連の動作を見ていたら、流石に気づいたのだろう、困った顔で苦笑いされた。 「シュリ、視線が強すぎます」 圧が凄いですよ、とからかうように言われてしまった。 はじめのころのように恐がるそぶりはどこにもないので、シュリも本気でとりあうことはない。 「恋人を眺めて、なにが悪い?」 堂々と告げれば、わぁ、と棒読みが返ってくる。 大分慣れてきたのか照れる度合いは減ってきたが、さらされたうなじや耳の端が赤らんでいる。 真っ赤になるより、いっそ扇情的な気がして、ついさらに見つめてしまった。 「……こういう時にちょっかい出されるのは、苦手です」 熱のこもった視線を察したのだろう、釘を刺される。 作業をよく見ようと近づいただけなので、不必要なほど接近する気はない。 「そんな真似はしないさ」 刃物を持っていれば怪我の危険があるし、加熱中に目を離すのもいただけない。 最新家電で自動的に調節されるので火事だなんだは起きないが、アンジュの使いやすい文明レベルの品なので、普通に火傷はするのだ。 なによりこれはアンジュのストレス解消なのだから、途中で邪魔をするなど、愚の骨頂だろう。 あっさりと答えると、ほっとしたように息をついた。 「あんまり前の話をするのはよくないですけど、邪魔されて文句を言ったら、嫌がられたことがあるんです」 「それは相手が悪いだろう」 「考えてみればそうなんですけど、……当時は言えなくて」 言下に断じたシュリに対し、アンジュは困った顔で眉を下げた。 たしかに、試験当初の彼女はまだまだ未熟で、いわく人種のせいという優柔不断な部分もあった。 まして相手が恋人となると、不満があっても飲みこんで我慢することもあるだろう。 シュリとしてはこれからも長い時を共に生きるのだし、性格上でもはっきり口にしてくれたほうがいい。 「お前の料理はいつも美味いから、楽しみにしているんだ」 馴染みのない味つけのこともあるが、彼女の過去が知れるのはいいものだ。 それに、正直に言えば味を変えてくれたり、違うものにしたりと工夫してくれる。 いつかの未来の予行練習だと思えば、楽しめこそすれ厭うはずもない。 「……お前自身をもらうのは、夜まで待つさ」 「だから、そういう……!!」 赤面して叫ぶがどこ吹く風だ。 ちゃんと、刃物も持っていない、手が空いた時を狙って発言した。 だからアンジュも科白をきちんと聞けてしまったわけだが、咎められるいわれはない。 ごく普通の──と言ってもシュリには経験のない──おうちデートとやらを満喫して、夜は夜で楽しむ。 どんなことだって、恋人とすごせば格別なものだ。 下半身だけで行動するようなザコになるつもりはない。 「もー……」 ぶつぶつこぼしながらも、ぱかりと鍋の蓋を開ける。 ふわりと香る味は、出汁というらしい。 なかなか見た目は微妙なものを入れるのだが、おいしくなるのだから不思議なものだ。 菜箸で摘まんで様子を見たアンジュは、うん、とうなずいて再び蓋を閉めた。 「煮物は冷める間に味が染むんです」 だから食事の時間までこのままで、ということらしい。 次はなにをつくるのかと興味津々のシュリに、だから、とうつむいて続ける。──微かに見える顔は、赤い。 「それまでちょっと、くっつきたい、です」 否やはない。我ながら笑顔になった自覚を持ちつつ、答えの代わりに腰を引き寄せてソファへ連れて行くことにした。 |
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