− 後味の話 − |
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「慈悲か、気まぐれか」の後日談です。 本編は同人誌、Pixiv、プライベッターでご覧頂けます。 王立研究院で発展度データを確認すれば、概ね予想どおりだった。 多少の上下はあれど、均等に力を与えられた大陸は、最初の荒れた状況が嘘のように栄えている。 己の力以外は自分ではわからないし、職員の見解も聞けるので、やはりここまで足を運ぶ価値はある。 職員に礼を告げて部屋から出ると、離れた別の部屋から出てくるサイラスが見えた。 さっさと立ち去ろうとしたのだが、それより速く笑顔で名を呼ばれてしまう。 無視をするには人目があるので、やむなく立ち止まって待つことにした。 あの一件以来、正直この男とは関わりたくないのだが、あからさまにするわけにもいかない。 手になにかを抱えた男は、にこにこと笑みを貼りつけたまま慇懃に挨拶をしてくる。 無愛想な返しは常のことなので、おかしくはないはずだ。 「シュリ様、少し頼まれてくれませんか?」 「……何をだ」 この男からの頼みごとなど、警戒するなというほうが無理だろう。 周囲の職員たちが怪訝そうに見ているのに気づき、どうにか気を落ちつけようと努力する。 油断すると殺気を出してしまいそうで、流石に悟られてしまうだろう。 「これを、アンジュ様に届けて頂きたいんです」 手にしていた大きめの荷物をさしだされ、勢いで受けとってしまう。 場所柄、問題になるものではないと判断したからだ。 それに外側のパッケージには覚えがある。 宇宙の描かれた表面は、以前シュリも使用したものだ。 王立研究院で確認できる惑星の状況──を、簡易的に表示するための器具。 調査のためというよりは、本体の使いかたを学ぶための教材といった意味合いが強い。 だからシュリも守護聖になった直後、これの世話になったのだ。 「本日は午後から在室と仰っていましたので」 今は昼を過ぎたところ。シュリも軽く食事をしてから、ここへきた。 つまり彼女はこのあとずっと寮にいるというわけだ。 「お前が届ければいいだろう」 「ちょっと職員に呼ばれていて」 一度寮にもどりとどけるくらいの時間はつけられるだろうに、しれっと言い放つ。 どうせ行くでしょう? という副音声が聞こえた気もした。 この男の言うなりは嫌だが、会いに行く口実が得られたのはありがたくもある。 結果、眉をしかめながら了承することになった。 実際、サイラスたちも忙しいのだろう。 大陸の発展度はかなり高い状態で、女王決定まであとわずかというところだ。 即位式の準備などと呑気なことではなく、譲位にともないなにが起きるかわからないので、対策に余念がないはずだ。 最悪の状況も想定しているはずなので、研究院の中には明らかに顔色が悪い者もいる。 なるべく表に出さないようにしているだろうが、宇宙が崩壊するかもしれないのだ、平静でいるほうが難しい。 サイラスは知識も豊富だし、いつでもよくいえば飄々としているから、不安がる職員にはよりどころなのだろう。 自分だったら絶対にあの男に頼りたくはないが。 とにかく、アンジュの望みだというならシュリに異論はない、サイラスの顔なぞいつまでも見ていたら殴りたくなるので、さっさと退散することにした。 寮を訪れるとレイナは外出中らしいので、気兼ねなく中へ入ることにする。 彼女との仲も良好で、よく一緒にお茶を飲んだりしているというから、割って入るのは憚られるのだ。 望まぬかたちで、着の身着のままでこの地にやってきたのだから、友人ができるならよいことだろう。 ノックをすればサイラスだと思っているのだろう、どうぞーと気の抜けた声がとどいた。 それはそれで貴重だなと考えつつ入室すると、アンジュはシュリの姿を認めてぴゃっと妙な声をあげた。 「えっシュリ? なんでですか」 「サイラスに頼まれたんだ」 いつも訪問した時に使うテーブルに、先ほどの箱を置いてやると、得心したらしい。 「バース以外の宇宙は全然知らなくて、見当もつかないってこぼしたら、サイラスがいいものがありますよって」 お茶でも煎れますね、とミニキッチンで支度をしながら、これを借りることになった顛末を教えてくれる。 アンジュは気がついていないが、それは彼女が次期女王として認知されていることに他ならない。 元の世界にもどる可能性がある場合、必要以上に他宇宙のことを知らせないように、という決まりがある。 勿論女王試験には知識が必要だし、そもそも女王交代という最重要課題の前には、どれもたいしたものではないが、とにかく。 試験当初の彼女が同じ願いを口にしても、適当な理由で却下されただろうに、今は喜んで機材を貸しだしてくれる。 着実に、その日は近づいてきているのだ。 お茶を持ってきた彼女と並んですわり、端末を操作して使いかたを教えていく。 さして難しいものではないので、すぐに覚えたらしい。 見たい宇宙を選べば、ホログラムがその星系の星図にもとづいた立体映像をつくりだす。 条件を入力すれば、たとえば惑星の爆発で、どれくらいの範囲に影響を及ぼすかなども知ることができる。 この宇宙全体を知るには、一番適している教材だ。 「──今日の午後は在室と聞いたが、体調でも悪いのか?」 説明したところで、なにげなさを装って問いかける。 見たところ顔色は悪くないが、浮かない顔ではある。 それに、抗争前のような、張りつめた気が伝わってきている。 さらりと桃色の髪をなでてやると、ほっとしたように微笑んで緊張が緩む。 「いえ、元気ですよ、ただ……ちょっとだけ休みたくて」 声の中には申しわけなさが滲んでいたので、できるだけ冷たくならないよう心がけて、それもいいんじゃないか、とうなずいた。 ここ数日のアンジュは、育成は最低限にとどめて、守護聖との会話などに重きを置いている。 だからといって決してサボっているわけではない。 女王に就任したあとも守護聖とは長く共に仕事をしていくのだ。 よそよそしかった守護聖たちが、この試験を通して明らかに関係が変化している。 そのため、咎めるどころか推奨する声すらある。 シュリとの関係を明らかにしない配慮もあるのだろう、他の守護聖とも、少々気にくわないがあちこち出かけている。 それも、聖地に移ればここを訪問することも難しくなるので、見納めにと回るのだって自然な心境だ。 とはいえ急かすような謎の声や、試験によって実感を伴ってきた宇宙の危機があると、束の間の休息すら罪悪感を呼ぶに違いない。 ──ならば己のすることは、簡単だ。 あれこれ装置を動かすアンジュの手をとると、きょとんとした顔で見上げてくる。 「不調でないなら、少し触れさせてくれ」 わざと音を立てて薄く色づいた爪先にキスをして、意味に気づいて逃げられる前に抱き寄せた。 そのまま唇を合わせれば、おそらく発しようとした声は消えてしまう。 微かに残る後味は、すっかり思い出したあの、独特のもの。 どうやら今日もエナジードリンクは飲んでいるらしい。 今となっては飲んでいないほうが心配になるので、後味はいまいちだが忌避感はない。 そんなもの、深いキスを続けていればいずれなくなってしまうのだし、と存分に口内を荒らし回った。 咎めるように強く掴んでいた指は、徐々に力を失い、すがるようにひっかかるばかりになる。 ひととおり堪能したところで口づけをやめて顔を見れば、拗ねたような、照れたような、複雑な表情をしていた。 詫びの代わりに額や髪の毛に口づけると、ぅー、と小さく唸るがやめさせる気配はない。 「……今まで使っていたのが切れたから、新しい歯磨き粉を用意してもらったんです」 いきなりの発言に、一瞬反応が遅れたが、キスからの続きだろう。 無言で続きを促すと、うろうろと視線がさまよってしまう。 「後味を消そうと思って……でも、ちょっとキツすぎて、結局いつものにもどしちゃいました」 肩を落とす姿に笑みをこぼしたが、さらに拗ねられるので見られないうちに表情を改める。 なんともいじらしい努力をしたものだ。 己のためにと思うと、むず痒い嬉しさがこみあげてくる。 しかし完全に痕跡を消されてしまうと、飲んだかどうか確認しづらいので、今のままのほうがありがたい。 だが、さんざん味が妙だと言ったあとなので、撤回すれば怪しまれてしまうだろう。 「そのうちお互い様になる、気にするな」 ──ならば話題をずらせばいい。 どこかの誰かほど策略家ではないが、多少のだましあいは経験がある。 嘘はつきたくないから、とれる方法はこれしかない。 「お互い様?」 どういう意味だと怪訝そうにする彼女に、ゆっくり種明かしをしていく。 エナジードリンクを飲まなくなったりしないように、頭の中で慎重に、迅速に言葉を選びながら。 「俺は寝る前に一杯引っかけることが多い」 翌日に残るヘマはしないし、深酒でもない。昔からの習慣が残っているだけだ。 ただ、飲む酒が少々特殊な自覚はある。 独特の匂い、いわゆるピート香と呼ばれるものが多いのだ。 他にも飲む酒の共通する点は、好き嫌いが分かれると評されるものだということ。 昔は選んでいられなかったが、自由に飲めるようになってからは、すっかりそればかりになってしまった。 「だからもうすぐ──嫌でも味わうことになるさ」 意味深にするりと唇をなでて、だめ押しに耳たぶを軽くひっかいてやる。 今は女王候補と守護聖だ。アンジュ本人からも、キスまでしか許されていない。 レイナにサイラス、使用人もいる現状で、彼女の部屋に泊まれるわけもないし、逆もしかりだ。 だが、無事に女王となれば、遠慮する気はない。 許可が下りればの話だが、共寝するくらいは許してほしい。 流石に就任直後に抱き潰すつもりはないから、それくらいはねだってもいいだろう。 勿論、最低限の仕事を終わらせたあとは、女王と守護聖ではなく男と女として一晩共に過ごしたいと思っている。 アンジュと一緒の夜だって、いつもどおりに酒を飲むだろう、緊張をほぐす役目も果たしてくれるだろうし。 となればキスの味は── 「──な、ナイトキャップは睡眠の質を下げるんですよ……っ!」 意味するところを察したアンジュが、ぼんと顔を赤くしてお説教してくる。 正攻法でくるあたりが彼女らしい。 「癖のようなもので飲まないと落ちつかないんだ。だからお前のエナジードリンクとお互い様だろう?」 じゃあ飲むのやめます! と宣言されないよう、声と表情には気をつかう。 己の返しに不服げながらも反論できずにいたアンジュは、ふと表情を暗くした。 シュリの腕を細いそれで抱えるようにして、顔を伏せてしまう。 「……本当にそう、なれると、……」 最後のほうはかき消えてしまった小さな声の弱音を、咎める気など起きなかった。 もうあと数日で、宇宙のすべてが細い肩にのしかかってくるのだ。 覚悟を決めている最中といえど、揺らいでしまうのは当然だろう。 女王を目指せと己が願い、うなずいたとはいえ、最後までぶれずに進めるなんてありえない。 シュリのように悔いなくとはいかないのだから、なおさらだ。 「ちょっとだけ。ちょっとでいいんです。そうしたら、大丈夫ですから」 躊躇いがちに身を寄せる恋人を、力強く引き寄せて、そのままソファに寝転がる。 広くはないが、落とすような真似はしない。 突然の回転に首にかじりつかれて、少しだけ苦しいが、注意する気もなかった。 「なら勉強はあとで、昼寝でもするか」 日のよく入る部屋は、灯りをつけずとも穏やかに明るい。 微睡むにはもってこいの陽気だ。 ──女王になってほしいだとか、宇宙の危機がとか。 そんなことは既知の事実で他の誰でも言えるし、過去の己が口にしたことだ。 やめてしまえとは、言えないところまできてしまっている。 さらに彼女の病を知った現状では、もうシュリに選択肢はないのだ。 だが、アンジュの心を壊してしまっても意味がない。 結局できることなどたかが知れているが、彼女は弱いだけの女ではない。 こうして震えていたかと思えば、蒼い瞳を挑戦的に輝かせもする。 どちらの姿も、一番近くで見ていたいのはシュリの想いゆえの我儘だ。 「……あとで、解説してくれます? 全然さわってないのがバレたら、困るので」 横目で星図を見つめるアンジュに、勿論だ、とうなずいてやる。 あの男に指摘される隙間をつくるわけにはいかないのだし。 快諾すると、安心したように腕の力が抜けた。 居心地のいい場所を見つけて丸くなる彼女の背をなでて、美しくきらめくホログラムを目を閉じて遮断する。 ──大陸の発展度が規定値に達するまで、あと数日、場違いに上天気な昼下がり。 |
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