−迷惑な隣人− |
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「お隣に宇宙?」 ずいぶんなパワーワードですね、とアンジュが呟いた。 パワーワードという意味をつかみあぐねたが、サイラスの報告は続いている。 あとでカナタあたりに聞いてみようと決めて、おとなしく聞くことにする。 定例の女王と守護聖によるミーティングの席で、王立研究院からもたらされた報せ。 それは、この宇宙の隣に別の宇宙がやってきた──というものだった。 「普通はホイホイ移動するものじゃないですよね?」 「ええ、勿論です」 簡単に宇宙が動かれてはたまったものではない。 実際、隣といっても気の遠くなるような距離があり、通常の方法での行き来は不可能だ。 この宇宙に暮らす誰も、そんなことには気づかない。 知り得るのは聖地にいる者たちだけだ。 ただ、隣にやってきた宇宙自体の情報はかなり昔から存在していたという。 データーベースによると、歴史も同じくらいで、ご近所さんの宇宙ではあったらしい。 あちらもちょうど女王にあたる存在が代替わりし、その力により距離が近くなった。 悪影響が出るものではなく、むしろ波長としては似ているの宇宙なので、いい効果があるかもしれない。 いいことなら、と穏やかになりかけた空気だったが、ただし、続けるタイラーはやや眉をしかめていた。 「……その宇宙は、力が正義、という考えなんです」 サクリアの強い者が集まり武を競い、勝者が王となる。 そのため宇宙全体も好戦的で、戦の絶えない環境が当たり前らしい。 勿論、それがその宇宙としての自然な姿であるならば、こちらがどうこう言う義理はない。 けれど隣に存在するとなると、警戒するのは当然だろう。 「まあ、今までやりとりもなかったし、向こうから接触してこないかぎりは、放置でいいんじゃないか?」 「そうだね……興味はあるが、こちらも余裕があるわけじゃない」 挨拶をしないと指摘されれば、宇宙がまだ不安定なのでと告げれば角は立たないだろう。 光と地の守護聖の言葉に反対する者は出なかった。 王立研究院にも引き続き調べてはもらうが、牽制する必要まではないだろう。 アンジュも異論はないというので、ひとまず話はそこまでになった──のだが。 ──さして日を置かず、くだんの宇宙から通信がとどいた。 内容は、宇宙が移動したことの詫びと挨拶を兼ねて、直接お目にかかりたい──というものだった。 文章は丁寧で、正式なものと確認がとれたから無視もできない。 断る理由もないので受けることとなったのだが、どこで会うかが問題となる。 ああだこうだとやりとりをして、結局、王立研究院の総力で新たにくだんの宇宙との道をつくり、安定している中間点での会見となった。 あまり大人数は影響が出るかもしれないのでと、首座と女王だけが赴き、相手方も同じ人数だった。 ヴァージルとしては己が同行したかったが、女王と恋人同士であるという情報を与えてもいいかは微妙なところだ。 くだんの宇宙の王は性別不問だが、在位中に結婚した過去はない。 となると知らせる必要はないだろうという判断になった。 大きな理由もなく、首座ではない守護聖が同行すれば、痛くない腹を探られる。 まして戦いを至上とする者なら、ヴァージルが武に長けた者であることは見抜くだろう。 余計な疑念を生まないためにも、同行は叶わなかった。 頭では理解したが、自分の手のとどかない場所に彼女が赴くかと思うと、気が気ではない。 王立研究院で帰還をずっと待ち続けていると、タイラーには露骨に邪魔者扱いされ、サイラスには「徘徊するハクビシンのようですね」を意味不明な比喩をされた。 やきもきしながらもゲートの近くにいすわって──到着を示すアラートが鳴ると、一番近くに立った。 「ただいま帰りま……わ!?」 無事にもどってきたと思うより先に抱きしめていた。 「人前です、仕事中です!」 どこも怪我などしていないと瞬時に確認もすると、べし、と肩をはたかれ怒られる。 だが、離す気はないし、周囲の者もあきらめているようなので抱きしめたままに決めた。 「今の速さ、俺を抱きしめた可能性もあったんじゃ……?」 「ありえません、俺がアンジュを間違えると思いますか?」 「わー情熱的ー……」 あまりの素早さに恐ろしい想像をしたユエに、言下に断じる。 咄嗟の動きだったとはいえ、恋人と男を間違えるなんて絶対にしない。 ヴァージルにとっては当たり前だったのが、ユエだけではなく恋人にも平淡な声で呟かれた。 「とりあえず、みんなを集めて報告したいので」 女王の顔で言われたので、渋々従った。 いわく、会見自体はなごやかに終わったのだという。 王と名乗ったその人物は、けれど武力一辺倒ではなく、当たり前だがサクリアも申し分ない。 戦いばかりでなかなか文明が進まない星も多いので、少しずつ変えていきたいと意欲も見せた。 だから参考にさせてくださいと熱心に請われたと聞いた時はむっとしたが、こちらも金の髪の女王が司る宇宙には世話になった。 となれば己たちが同じ立場になるのも、巡りめぐってというものだ。 直接会うのはなかなか難しいからと、映像でのやりとりで、ヴァージルもあちらの風の守護聖と会話したりもした。 他者との交流が少ないという点では、どちらも同じなので、なんだかんだで新しい出会いは悪いものではないと思った。──思っていたのだが。 「あちらの王に、プロポーズされました」 「は!?」 アンジュの私邸に共に帰宅し、寝る支度を整えてからの発言に、声が跳ねてしまった。 くだんの王とのやりとりは、数日に一度くらいの頻度になっている。 正直多くないか? と思っていたが、宇宙のためと思えば文句も言えない。 今日も通信の日だったわけで、思い返せば迎えに行った時から、少し様子はおかしかった。 プロポーズされていたからだとわかり、ぐらりと脳が嫉妬で焼けた。 アンジュはぎゅうと抱きついてきて、勿論断りましたよ、と続ける。 当たり前だと思いつつも、安堵の吐息をこぼすことは止められなかった。 「どうも、争いを減らそうとしてもうまくいかないらしくて……」 宇宙の特徴として、炎などの力が強く、水や地は低いのだという。 そのため、バランスをとろうとしても成功せず、目に見える効果は出ていない。 数百年、あるいはそれ以上のスパンで考えているだろうが、焦りは出てくるだろう。 アンジュは王の話をよく聞いて、結果、懐かれて──なつかれすぎたわけだ。 「断る際にちゃんと、守護聖と恋人ですって言いました」 「……引いてくれたんですか?」 女王と王だ、前例がないことだし、スケールも大きすぎる。 感情が急いていたとしても、まったくの考えなしではないだろう。 ある程度、実現した場合も想定していなければ、告白などできるはずがない。 だから、想いはかなり深いはずだ。 「引いてくれなきゃ困ります。私には、あなたがいるんですから」 少し照れながらも断言されたので、抱きしめる腕に力が入る。 嬉しさからキスの雨を降らせながらも、懸念は残る。 彼女の気持ちは疑うべくもない、だが、相手は簡単にあきらめるだろうか。 少なくとも己は──気持ちを封じることなんてできなかった。 明日、みんなにも報告しますね、というアンジュに相槌を打ちながらも、胸には嫌な予感がつきまとったままだった。 翌朝、定例のミーティングでアンジュがプロポーズの件を告げると、ざわりと場がさざめいて、ついで、視線がヴァージルにむけられた。 気遣うような視線がいたたまれなくて、すぐに口を開く。 「俺は昨夜、先に聞きました」 「それでおとなしいのか」 シュリの納得にジト目をむけてしまうが、彼らの言いたいこともわかる。 アンジュは苦笑いを一瞬したのち、女王の顔で淡々と説明をする。 といっても、断ったという結果くらいしか話すことはない。 あちらがおとなしく引いてくれるなら、今後もいいご近所さんとしてやっていきたいが、こればかりはわからない。 全員に留意してもらうよう頼むのが関の山だった。 その後はアンジュの話だが、宇宙についての相談や、王としての愚痴だけになったという。 怪しいと思う気持はあれど、無碍にできないのも事実。 間隔も空いてきたというので、少し安心していたのだが── 「貴様は……風か。全員追いだしたはずだったんだが」 忌々しげに、だが悠然と呟かれて、やはりか、と舌打ちする。 くだんの王の告白を断ってから、かなりの月日が経過していた。 合間に通信でのやりとりはしていたが、あれ以後、彼が口説いてくることはなく、安心していた矢先、各地で異常事態が勃発したのだ。 いくらかの時差はあれど、ほぼ同時に何カ所でもということで、女王試験以来の危機に聖地すべてが対応に追われた。 調べたところ、各地の平定にはサクリアの力が必要という見立てにより、対応のため各地へ守護聖たちが赴かざるをえなかった。 だが、ただ一人、ヴァージルだけは留守居として聖地に残った。 本来こういった場合、戦力になる己がまっさきに行くべきだったが、守護聖が全員不在になるのはよくない、という総意のもと、とどまることになったのだ。 あまりにも各地で、すべてのサクリアがおかしくなっている。 まるで狙い澄ましたかのように地域はバラバラで、なんらかの介入を疑うのは当然だった。 もしかして、という予想は誰しも立てていたからこそ、ヴァージルにまかせたのだ。 あちらの宇宙の王は、閉じたはずの道を強引に開き、こちらの宇宙へ渡ってきた。 サクリアをたどってきたのだろう、迷うことなくここへ──女王の執務室へ続く廊下に出現した。 簡単に行き来できるものではないのだが、そこは流石に王と名乗るだけはある。 おそらく、各地の異常も彼の命令によって、あちらの守護聖が引き起こしたに違いない。 でなければ落ちついてきた現状で、ここまで全員が行く事態になるはずがない。 だが、短時間では証拠も見つけられなかったので、防衛という戦法しか選べなかった。 「女王はどこだ……隠したな?」 サクリアは感じれど姿がないことから察したらしい。 周囲をぐるりと見回してから、ぎろりと睨まれる。 殺気を当てられても、ヴァージルは動じずにらみ返した。 やはり、彼はあきらめてなどいなかったのだ。 正攻法でフられたのなら奪えばいい──なんとも戦闘民族らしい考えかただ。 しかし、きちんと戦略を立てているあたり、やはりバカではないらしい。 ヴァージルとしては争い自体を否定するつもりはないが、女王としても、恋人としても、彼女をこの宇宙から失うわけにはいかない。 そのためには──この侵略者を排除する必要がある。あるのだが。 腰を低くして臨戦態勢のヴァージルを見ても、男は軽く笑うだけだった。 「貴様一人、どうということはない。……怪我をしたくないなら、退け」 「慮外者が……!」 小さく叫んで銃を構えるものの、背中を冷や汗が伝い、本能は逃げろと叫んでいる。 本来ならば宇宙へむけられるはずのサクリアが、敵意をもって己だけに突き刺さってきている。 別宇宙の王であろうとも、その力の前に守護聖ひとりではあまりに無力だ。 圧倒的な力に、すぐにも膝をついてしまいたくなる。 負けがわかっている戦いに挑むなど愚の骨頂だ。 昔の己なら退却して作戦を練るなり、あきらめて別の場所を攻めただろう。 だが、今回は引くという選択肢は選べない。 それでも照準を合わせたまま立っていられるのは、背をむけた扉の中にいる女王であり、最愛の恋人を守るためだ。 執念と言ってもいい想いだけが、ヴァージルを立たせていた。 だが、王はつまらなそうに眉を寄せるばかり。 「そんなもので止められるとでも?」 嘲笑する声に、ぐらりと腹が怒りで沸きたつ。 見た目こそ、かつて使用していた銃に似せているが、中味はまるきり別物だ。 威力も精度も、恐ろしいほど向上しているゼノ特製の武器──だが、これでも女王と同じ存在である男の前には玩具なのだろう。 目の前の男は余裕たっぷりの表情を崩すこともない。 引き金を引いても、隙が生まれるばかりで悪手かもしれない。 だが、跪くなんて死んでも御免だから、ヴァージルの行動はひとつしかない。 時間稼ぎをしても、好転する可能性は低いけれど、長引かせれば守護聖が帰ってくる可能性がある。 一人では勝てないなら、そこに賭けるしかない。 じりじりとした空気の中、がしゃん、と背後で聞こえるはずのない、鍵の外れる音がした。 「──もう、すっごく開けるの大変だったんですけど!」 場違いなかわいらしいふくれ面をさらしながら文句をこぼし、扉を開けたのは、守るべき存在。 いつもの女王の装束ではない、女王候補時代のような動きやすい服を着ていた。 くだんの宇宙からの力の介入を知らされた直後、強引に部屋の中に押しこめて、王立研究院の総力を持って幾重にも鍵をかけておいたのだが、サクリアと物理的な力で突破したらしい。 「女王……!」 再度避難させようとするより先に、喜色をあらわにした王が近づいてくる。 頬を染める姿だけを見れば、恋をする若人に見えなくもない。──やっていることは迷惑この上ないが。 おそらく彼女に危害は加えないだろうが、連れ去られたらその時点でおしまいだ。 なにより、指一本ふれさせたくもない。 進ませまいと立ちふさがると、舌打ちと共にぶわりと力が集まっていくのを肌で感じた。 あれをぶつけられれば、ひとたまりもないと、本能的に察知する。 だが避ければアンジュに当たってしまう、だから一歩も動かず衝撃に耐えようと足に力を入れた。 ──が、目の前に迫った力は、突如あらわれた薄紅色の障壁の前にぶつり、弾け飛んだ。 しかし余波だろう、見えない衝撃波のようなものはしっかりとヴァージルを襲い、まともに立っていられず膝をついてしまう。 「女王と同等の力を受けようとするからですよ」 わからずやの子供を叱るような声が上から降ってくるが、言葉を返す余力もない。 余波だけでごっそりと体力と気力と、一時的だと思いたいがサクリアも削れたらしい。 いつのまにか存在することが当たり前だった力が急速に失われた喪失感は、戦闘中だというのに冷静を欠きそうなほどだ。 「万一のためにってあちらの女王から色々教わっているんですよ。なのにみんな、全然聞いてくれないし」 過保護すぎませんかと不満をこぼされるが、当たり前だろう。 女王になる前は平和な世界の一般人だったのだ。 いくら巨大な力を持っているといっても、それはあくまで宇宙を平定するため。 決して、ヴァージルたちのような戦いにふるうものではないのだ。 それに己としては、諍いに加わらせたくない気持ちもあった。 口論なら大いに結構だと思っている、けれど、現実に手を血で染めてほしいわけじゃない。 汚れ仕事が必要なら、己でも、他の誰でもやればいい。 今さら屠った数が一人二人増えても、心は動かない。 彼女には、綺麗なままで、知らないままでいてほしかったのだ。 「……まあ、そのへんのおしおきは後回しです」 とん、と肩に手を置かれて、じわりと温もりが広がる。 同時に身体が軽くなった気がした。 どうにか顔を上げると、そこには困ったような、けれど愛おしげに己を見つめる蒼い瞳。 「これは宇宙を司る者同士の問題です」 つまりは戦力外通知だ。 わかっていても、言葉にされるときついものがある。 アンジュの顔と先ほどの様子を見るに、勝算は十分にあるのだろうが。 「……守られるだけは、嫌なんですけどね」 今までの人生では、いつも守る側だった。 それがこんな有様なんて、頭で理解していても納得できない。 ダダをこねる子供のような己に、アンジュはにっこりと笑ってみせる。 「ヴァージルがいてくれるから、タイマン張れるんですよ」 軽口すら叩いた一瞬後、女王の顔にもどった彼女は、彼方からの望まぬ来訪者に厳しい視線をむけた。 己の優位を確信しているのだろう、男は二人の会話を悠然と見守っていた。 「フられたのにあきらめが悪いですね?」 刺々しい口調にも、彼はめげることはないらしい。 むしろどこか嬉しそうなので、もしかしてちょっと自分と似ているのかもしれない。 「あなたと私が番になれば、双方の宇宙にいい影響があります!」 「──まあ、たしかに試算ではそうなんですけど」 そうだったのか、と知らなかった事実に愕然とする。 もっとも、あくまで机上の空論だから、実際にどうなるかはわからないだろうが。 だからこそ男は自信満々にプロポーズしてきたわけだ。 「私はここにいる風の守護聖を伴侶に選んでるので、あなたはお呼びじゃないんですよ」 伴侶とまで言われておいて、いつまでもうずくまってはいられない。 気力でどうにか立ちあがると、ごく自然に腕を絡めてくる。 愛おしげにヴァージルを見つめたあと、王へとむける視線は冷淡だ。 「こちらの宇宙に攻撃をしかけた時点で、ナイなと思ったんですけど、ヴァージルまで攻撃された今は、なにを言われても聞く耳を持つ気はありません」 口調だけは丁寧だが、声音は凜としており、女王としての力を行使する時よりも冷たい。 本気で、彼女は相手を敵、なおかつこの宇宙に対する異物だと認識しているのだろう。 しかし絶対零度の対応にも、男は頓着した様子がない。 「では、多少強引になりますが、私の宇宙へお連れしましょう。戦ばかりでも、美しいものだってきちんとあります。きっとお気に召して頂けるかと」 「わぁ。話が通じない」 王の科白に、アンジュが感心したように据わった目で呟く。 力に自信があるからだろう、戦いなど知らない風情のアンジュと、実力差のある風の守護聖だけなら、苦労せずに目的を遂行できる、と。 たしかにアンジュは、戦いという意味では今も隙だらけだし、武人の気配はない。 しかし彼女は女王であり、ここはアンジュの宇宙で、なおかつ聖地なのだ。 地の利という点では圧倒的に彼女のほうに分がある。 ましてこの場合の戦いというのは、間違いなく単純な銃や武器でのやりあいではない。 「なら、実力行使ですね」 言葉と共に、ばさり、と大きな羽の動く音がした。 アンジュの背中にあらわれたのは、息を呑むほど美しい白い羽。 同時に感じる女王のサクリアは、今までにないほどに強い。 その証拠に、相対する男は無意識に一歩下がっていた。 「今すぐ退くなら、ここまでにします」 静かな声はものやわらかなほどなのに、抗えない圧を持つ。 射るような青い目にヴァージルはうっかり見惚れてしまった。 あんな表情で見られることはごめんだが、美しいものには変わりないのだ。 「そうは……いくか、その、力と、あなたを私のものに……!」 かすれた声をあげながらも、王と呼ばれている自負ゆえか、男は前へ進もうとする。 アンジュはやれやれと言いたげにため息を吐くと、まっすぐに腕を伸ばした。 ──そこに、己の手を重ねたのは、無意識だった。 けれど、すべてひとりでやらせるなんて、絶対に嫌だと強く思ったのだ。 女王として正しい姿であろうとも、守護聖としては力及ばずとも。 アンジュとヴァージルはそれだけの関係ではないのだから、サクリアは意味がなくても、想いを乗せることはできる。 不意にふれたからか、アンジュは驚いたように目を見張り、一瞬だけ視線が交差する。 嬉しそうに微笑まれた次には、再び前をむいていた。 手はそのまま、ほどかれることはない。その事実にひどく安堵した。 「では……力ずくで、お帰りいただきます」 断言とともに女王のサクリアが集まっていく。 馴染んでいるはずのヴァージルでさえ、重みを感じるほどの巨大な力だ。 アンジュは表情を変えることなく力を操り、こちらへ果敢に手を伸ばす王へとそのサクリアをむけた。 淡いピンク色の光に包まれた男は、数秒後、まるではじめからいなかったように消え失せる。 「──本人の宇宙へ帰しました、座標は、ズレているかもしれませんけど」 静まった廊下に、いささか心許ない声が響く。 なんともあっさりした決着に感じたが、決してそうでないのは、青ざめたアンジュの表情から明らかだ。 翼はすでに消失している、一度の機会に全力を注いだのだろう。 「送り返したついでに道は閉じたので、あとは王立研究院にまかせれば……たぶん……」 「わかりました、そのあたりは俺が伝えます。あなたはすぐ休まないと」 失礼、と断って抱え上げると、苦しそうな息が漏れた。 強引に開けられた扉ではなく、執務室の隣につくられた仮眠室へむかう。 仮眠室と名はついているが、置いてある調度品は一級品だし、ベッドだってクイーンサイズだ。 あまりの快適さに、邸に帰らなくなりそう、と冗談半分で言ったくらい、何日でもいられるようになっている。 仕事が忙しかった時はやむなく使用していたが、くだんの事態になるまでは使われずにいた。 未使用でも毎日清掃は入っているので、いつでも使用には問題ない。 こんな時だからこそと交換してある清潔なシーツの上に横たわらせる。 一度に大きな力を行使したのだ、疲労は並大抵ではない。 この無茶で女王としての寿命が縮まったら……と思うと、かつて倒れた女王の姿と重なり、背筋が冷えていく。 だからこそ、なるべく無理をさせずにいたかったのに、結局はこのザマだ。 「ヴァージル、連絡とか、おまかせしていいですか?」 横になったまま動かず、眠たげな様子に、勿論ですと快諾する。 寝て回復するものでもないだろうが、それでもいくらかマシになるだろう。 アンジュは右手を伸ばして、ヴァージルのシャツをそっとつかんだ。 「あなたがいるから、頑張れたし、事後処理も心配いらないから、全力を出したんです」 傍らに跪くと、誇らしげな笑顔を見せられて、胸が苦しくなる。 小さな手を両手でにぎると、しっかりとにぎり返してくれた。 仕事仲間としての信頼と、恋人としての原動力。両方なのだと伝えてくれることに愛しさが溢れそうだった。 「連絡は、それ使ってください。だから、起きるまでそばにいてくれなきゃ、嫌です」 女王用の端末を示し、認証を解いてしまう。 たしかにこれがあれば、守護聖への連絡もなにもかも動かずできる。 もとより警備の面でも、離れるなんて選択肢は選べない。 加えてかわいくおねだりされたら、うなずく意外になかった。 「言いたいことも色々ありますが、それは落ちついてからにします」 「ふふ……そうですね、お互いに。でも、ちゃんと褒めてくださいね?」 叱るだけはだめですよ、なんて、子供のように呟いたのを最後に、すぅっと寝入ってしまう。 ざっと見たところ怪我はないから、念のため医者は呼ぶべきだが、今はいいだろう。 万一を考えて民間人は避難させていたので、呼びもどして平時の状態にするまで時間もかかる。 起こさないよう消音に設定してからデバイスを起動させると、各地に飛んだ守護聖から連絡が入っていた。 どうやら、王を倒したことで宇宙自体のバランスも崩れたらしく、地域の鎮圧もすんだらしい。 順次帰還する旨を確認して、ほっと息をついた。守護聖たちも大きな怪我はないという。 それらに代理として返信をして、王立研究院などに最低限の通達を出していく。 あくまで一時的な権限なので、最低限にとどめておいた。 その間も、つないだ片手は離さないでいたから、少々やりにくかったが、ほどくなんてできなかった。 ひととおりの伝達を終えると、ヴァージルはアンジュの眠るベッドへもぐりこむ。 守護聖が帰ってくるまで少し間があるし、扉の外に気配を感じればすぐに動ける。 身体は疲労しているが、眠りたいわけではなくて、近くで恋人の鼓動を聞いていたかったのだ。 一定のリズムで刻まれる心臓と、穏やかな寝息。 彼女は無事で、ちゃんと己の隣に帰ってきてくれた。 その事実に安堵するとともに、思えば、待つがわになったことはほとんどないと気がついた。 かつても守護聖になってからも、いつも己がどこかへ行ってばかりだ。 家族以外にさほど親しい人間はいなかったし、死ぬつもりもなかったから、戦場へ行く際も悲壮感などなかった。 けれどいざ、自分が逆の立場になってみると、これほど気を揉むものなのかと実感する。 助力という意味ではほとんど役に立たず、勝ってくれることを祈るしかない。 大丈夫だと理性が告げていても、気持ちのほうはついていかないものなのだ。 惑星への派遣から帰るたび、甘えてくるアンジュの意味がようやくきちんと理解できた。 それだけは今回の事件に感謝していいかもしれない。とはいえ、二度とあってほしくない事態だし、次に似たようなことがあれば、事前に潰すまでだが。 守護聖と王立研究院、そして最強執事がいれば、すぐ聖地はもとの姿をとりもどすだろう。 くだんの宇宙に対しても、なんらかの対処はできるはずだ。 ──それでも、己の不甲斐なさを忘れるわけにはいかない。 どうにもできないとしても、それでも、あがくことはやめたくない。 小さな手をにぎりしめながら、ヴァージルはそっと顔を寄せて、起こさないようふれるだけのキスを落とす。 馴染んだ身体を胸に抱きこんで深呼吸すると、静かに目を閉じた。 |
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